審判員の呼び方と役割 2/2

フットボールは、19世紀初め、イングランドで上流階級の子弟が通う私立学校であるパブリック・スクールにおいてジェントルマン(紳士)を育成するための教育的な見地から、広く盛んに行われていたスポーツであり、「紳士としてこういうことはしてはいけないと約束したのだから、意図的にそうしたことをする競技者はいるはずがない、たまたまそうした反則が起きてもわざとやったのではないから罰することはない」という考えに立って行われていたようです。選手自身がセルフジャッジで行い、困ったときだけお互いのキャプテンが話し合って解決していたようです。テニスはいまもセルフジャッジで試合をしているようですし、サッカーでも育成年代や8人制の一人審判などは、基本的にはセルフジャッジで行いたいものです。

しかし、19世紀中頃になると、勝敗が激しく争われるようになり、試合中に問題が起きたときの仲裁者として、双方のチームからプレーに関係しない「第三者」であるアンパイアを1名ずつ出し合うのが、当時のパブリック・スクールの習慣になりました。1863年にフットボール協会(FA)が設立され、現在のサッカーの骨格が確立したころも、反則は規定されていても罰則はなく、審判員も規定されておらず、両チームから一人ずつアンパイアを出し合って試合が行われていたようです。

そして、二人のアンパイアの意見が食い違ったとき、この問題を解決するため、双方のアンパイアの意見を仲裁するレフェリーを新たに加えることになりました。観客の中からしかるべき人、偉い人にお願いして、最終決定を任せることになりました。こうして公式のレフェリーが、1871年のFAカップの新設時に、競技規則の条文にはじめて登場します。しかし、レフェリーの仕事は、タッチラインのそばで椅子に座り、試合時間を計測することと、二人のアンパイアの判断が食い違ったときに裁定を下すだけであったそうです。

1872年のシーズンから、紳士協定的な約束ごとでは難しくなり、罰則規定を導入することを決めました。ファウルのあった場所で、相手チームに「フリーキック」を与えました。(ただし、フリーキックから直接得点できるようになったのは1903年)。アンパイアは1873年から74年のシーズンに新しい権限が与えられました。粗暴なプレーがあったとき、相手チームの主将のアピールに基づいて、その選手をアンパイアが適当と認める間、退場させておくことができるようになったのです。そして、1880年、アンパイアイだけではなく、レフェリーに大幅な権限を与えました。レフェリーは相変わらず座ったままだったのですが、選手に非紳士的な行為があっとき、その選手に注意を与えることができるようになりました。また、粗暴な行為があったとき、レフェリーは退場させ、選手の名前を試合を統括する協会の委員会に伝える権限も与えられることになりました。1886年には、FAが審判員への手引きとしてメモランダムを発行して、審判員の任務と権限を示しました。その中で、「選手のクレイムがなされ、アンパイアの一人がそれを認め、レフェリーも同意したら、もう一人のアンパイアの意見の確認を待つことなく、レフェリーは笛を吹くべきである。アンパイアがアピールに同意したら、杖を上げ、レフェリーが笛を吹くという、これまで大変うまく行われていた方法を今後も続けるべきである」と記されています。1888年にはプロフェショナルリーグが始められ、仲裁者の重要性は増大しました。1890年代になると、アンパイアに与えられていた権限が、徐々にレフェリーに移され、1890年には、競技規則のなかにレフェリーとアンパイアの項が設けられました。1891年の規則の大改正で、ついにレフェリーがフィールドの中に入って、試合中の唯一最高の権限を持つようになりました。それと入れ代わるようにして、二人のアンパイアがタッチラインの外に出て、ラインズマン(現在はアシスタントレフェリー:副審)という現在に近い形に移っていきます。同時に、アピールがなくてもレフェリーが反則だと判断すれば笛を吹けるようになり、1895年には一部の反則(ハンドリング、トリッピング)以外はアピールができなくなり、しだいにアピール権が全く許されなくなっていきます。その後の審判員の象徴的カラーとなる黒は、レフェリーを務めていた偉い人のフロックコートのカラーであり、線審の旗はアンパイア時代の杖の名残であろうと言われています。いずれも紳士の持ち物です。

このように、サッカーにおける審判の呼び方と役割は、サッカーの発展とともに変化してきました。歴史を振り返ると、サッカーが持っている本来の特徴や面白さとともに、時代の要求などを見出すことができます。皆さんには、是非サッカーの真髄を理解しながら、サッカーの醍醐味を感じ、新たな側面を築いてもらいたいと願っています。

引用
・最新サッカー大事典 大修館 2002年 (財)日本サッカー協会・日本サッカーライターズ協議会 編集
・「先生なぜですか」ラグビーボールはなぜ楕円形なのか? 大修館 1992年 中村敏雄 編集
・インターネット 異文化英語 175回 御園和夫
・インターネット レフェリーとアンパイア

ベースボールマガジン社 サッカークリニックに掲載したものより転載